2つ(?)の世界

(2022/12記)

いわく言い難い・・ということがあります。
考えていることが、感じていることがあるのだけれど、
言葉にしずらい、絵にしずらいということが・・
考えている概念や、感じているクオリアを・・

しかし、私たちは言葉や絵などで、それを伝えることしか出来ません。
それも、たとえ話として・・
これはそんなたとえ話です。

私たちとそれを取り巻く世界はこうなっています(A図)。
私たちは物理世界(物質世界、三次元世界)に精神世界のごく一部が張り出して、身体をまとっている存在です。
身体は50年とか100年とかの寿命で存在しています。
100億年に較べれば一瞬の、取るに足りない存在です。

私たちは神経や脳で感じたことを反射神経や自律神経や意識で、身体をコントロールしている、ように思っています。
・・が
神経や脳は精神(意識)の製造・発信装置ではないんですね。
その逆で神経や脳は、精神(意識)の受信装置です。
言い換えると、身体があって精神(意識)があるのではなく、
精神(意識)があって身体がある、のですね。

物理世界と精神世界の間にあるのが量子の世界です。
物理的でもあり精神的でもある量子が、あいだを繋いでいます。

私たちの意識の背後(基)には広大な無意識があります。
それにはユングのいう個人的無意識と集合的無意識があります。
思ってもいなかったことを言ったりしてしまったり、とんでもない悪夢を見たり、「心の闇」などと呼ばれるのは個人的無意識の仕業です。個人的無意識はより深くに行くのを邪魔する壁になります。
仏教では「末那識」と言ったりします。
また逆に、個人的無意識は本能の正しい働きを妨げたりもします。

集合的無意識は個人より深いところにある無意識です。
仏教では「阿頼耶識」と言ったりします。
ザックリ言うと、
コミュニティ⇒民族、性別⇒人類⇒霊長類⇒動物⇒生物⇒地球⇒宇宙・・というように深い所ほど大きくなる無意識です。
集合的無意識はギリシャ神話や日本神話などの神話の基になっていたり、テレパシーやテレポーテーションなどのESPや共時性(シンクロニシティ)を起こしたりします。

精神世界の深い所には、
あらゆる概念、クオリアがあります。
例えば誰かの5年前のこと、どこかの街の100年後の姿、
例えばイエス・キリストが生きている間何を考え、行動していたか、誰もまだ聞いたこともない素晴らしい音楽・・あらゆる概念、クオリアです。究極のビッグデータです。
このことを「アカシックレコード」などという人がいます。

そして、もっと深い所まで行くと宇宙意思にたどり着きます。
深い所まで行った人は、芸術のインスピレーションや、「神の啓示」を受けたりします。
「深い所」と言っていますが「限りない高み」でもあります。

ついでですが・・ここで言っている「物理世界」と「精神世界」を・・この世とあの世、こちらとあちら、此岸と彼岸、と言ったりもします。

ここでA図をズームバックしてみます(→B図)。
ユングのいう「マンダラ」みたいですね。
中心にあるのは仏教でいう「大日如来」でしょうか。

ところが、またまたここで・・
「天動説から地動説」のように
パラダイムの転回を行っちゃいます、なんちって(B図⇒C図)。
・・すべては宇宙意思の中にある、って感じになりますね。

「西遊記」で孫悟空が筋斗雲に乗って世界の果てまで行ってきた、なんて自慢したのに、実はお釈迦様の手の内でチョコマカしてただけ、・・なんて話を思い出しますね・・でもないか。

なおもところが、この「物理世界」がくせもので・・
水の中の気泡のような別物ではなくて、
水の中の別バージョンの水、ちうかなんちうか・・
精神世界の中に新たについた属性(プロパティ)、みたいなもんですね。つまり・・
物理世界は精神世界がベースになっているんですね。
だから、
この世界は「気」に満ちている、「プラーナ」がどうの、「波動」がどうの、古くは「エーテル」がどうの、なんて言われるわけです。
だから、
すべては精神世界、ひとつの精神世界なんですね。
物理世界はその中のかりそめの姿。
「この世界は仮想現実」なんていうのはこの為ですね。
てゆーか、この世はあの世の中にある、なんてね。

ということで、なおもしつこくズームバック!(D図)
もっとズームバック!(→E図)
そうなんです、無限の精神世界には、
私たちの住むこの物理世界の他にも、同じく物理的なパラレルワールドもあれば、もっと高次の世界(宇宙)なども、無限にあるのです。フゥーッ!
パラレルワールドは隣り合っていたり、裏表の関係だったり・・
低次の世界は高次の世界に含まれるのかも分かりませんけど。

どーも長いことお疲れ様でした。
それではここで話を戻しまして・・
私たちと精神世界の関わり方について、もうひと言。

精神世界を広くて深かーい海に例えてみます(F図)。
私たちひとりひとりの精神(意識)は、大海原に立ったさざ波のひとつひとつのようなものなんですね。はかないものです。
しかし広くて深かーいこの海の一部ではあるんですね。これが大事なことよね、ウン。
私は「小さなさざ波」でもあり「広くて深かーい海の一部」でもあり「広くて深かーい海そのもの」である。・・という意識。
・・こういうのを昔のインドでは「梵我一如」「アートマン即ブラフマン」なんて言ってますね。

浅い所では潮流、海流が、つまり流れがあります。これが時間の流れです。
深海ではそんな動きはありません。時間の止まった、というより時間を超越した世界です。

水には対流があります。海面にあった水もいつかは海底に、海底にあった水は海面に来ることもあるでしょう。
これが精神世界的には、「変性意識」「インナートリップ」「至高体験」「解脱」・・などと呼ばれます。

・・かなりはしょった話になりましたが、最後にひとつ(G図)。

強い風にあおられると波がちぎれて、しぶきになります。
「しぶき」は一瞬ですが海(海面)を離れた状態になります。
一瞬と言っても、100億年に対する50年、100年のことですけど。
この海を離れた、切り離された「しぶき」というひとりの精神は・・底知れない孤独感を抱きます。

これについては別途、「ヒトラー」などを例にとって、人間論のようなお話をしたいと思います。

ということで、
To Be Continue


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