プロフィール

当「昭和グラフィティ」に老い先短いこの身を捧げております、昭和裕三こと村田裕三にございます。村の田んぼは余裕で三っつ、なんのこっちゃ、と覚えて頂ければこれに優る喜びはございません。

現在千葉市の片隅で独りわびしく、傘張りの内職をしながら細々と生計を営んでおります。
して、その昭和な生い立ちは・・

村田裕三--
第一次ベビーブーマーのひとりとして、三重の山奥にて、猿を父に、猪を母に生を受ける。
幼稚園年少時は、恐れ多くもかしこくも、あの有名な伊勢神宮付属神宮幼稚園で天照大御神について学ぶ。みたいな。
当時の住まいは宇治山田市浦田町の貸家住まい。
隣はミーのいる、パンとうどんの「パンミーおじちゃんのみせ」。「パンミーおじちゃん、ろんちょーらい!」で、よくうどんをただ喰いしたもんさ。ちょろいもんさ。
注)因みに、このうどんは絶妙に柔らかい「伊勢うどん」である。子どもにやさしいうどんなのである。
なお因みに、肉うどんの肉は、伊勢の地では牛肉なんや。夢のシネラマ映画「世界の七不思議」にも紹介された、ビールを飲む松坂(まっつぁか)牛もおるしな。
なおなお因みに、うどんには刻んだ青ネギをいれるんや。関東は白ネギ、関西は青ネギや。これを「かやく」と称するんや。

その後にっぽんいち短い名前で有名な、あの津市新町に移る。全国津々浦々にある新町、たかが新町、されど新町、ああ新町。
幼稚園年長時はあの、新町幼稚園のゆき組にスカウトされる。
そして小学校はあの、新町幼稚園附属新町小学校。
もちろん二宮金次郎像はばっちりあったぜ。
もちろんプールはなかったぜ。
もちろん便所は肥溜め式、でわからなければ、スクワット式、でわからなければ、しゃがみ込みの和式。
もちろんちゃんと「お釣り」をかえしてくれる。ワッ、エンガチョ!
明るいときは出ないけれど、薄暗くなってから入ると・・
下の方から声が聞こえて来る。
「赤いのがい~か~青いのがい~か~」
すると不思議なことに・・つい「だったら赤いのがいいな」とか思ってしまう。すると・・下から赤い手が伸びて来てペロッとお尻をなでてきれいにしてくれるんだ。イヤほんと。
5年生の時校長先生の発案で45度のコンクリート板が取り付けられる。それからというものお釣りもないし、声も聞こえなくなりましたとさ。(下図参照のこと)

担任はおかだ先生。おかでぶ先生と言うと怒られるので、きおつけるよ~に。

因みに0点を取った試験は、農家の人が校庭の隅につないだヤギが食べてくれます。0点をよく取るゴットンこと後藤君に聞いてみて下さい。


なお因みに、帰り道では「ロバのパン屋」さんの「ロバのフン」を踏まないようにきおつけること。

当時の行きつけの店は天むす発祥の店「千寿」。
母親を連れて、もとい、連れられてよく行ったものさ。
付け合せの真っ黒の「きゃらぶき」がまたいいんだわ、これが。
伊勢湾台風であたり一面海になり、おかげで爆弾池のナマズや、津城のお堀のアメリカザリガニが流失したのも、阿漕浦海岸で最新のウーリーナイロンの海水パンツを履き、トラックのタイヤチューブの浮き輪で遊んだのも、今となっては懐かしい思い出と申せませう。

歯が生え替わるのがひと一倍遅く、生え替わった途端に「歯の健康優良児」として、マドンナ・安藤さんと共に表彰されたのも、これまた懐かしい思い出と申せませう。「歯の健康優良児カップル誕生!」なんちって。

給食でいちばん覚えているのはカレーシチュー。肉だかスジだか分からんのが入っているの。
それに定番のコッペパンと脱脂粉乳。仁丹入れるとなんとか飲める。
休み時間はもっぱらドッジボール。勉強も出来てドッジボールも上手い南君はスターだったなあ。

放課後は、アチコチにある誰でも使い放題の空き地で野球だね。僕は背番号3、サードで4番打者、ってウソに決まってるだろ。第一ユニホームなんてあるもんか。


中学校はなぜか仏教系の学校であったので、坊主にさせられちまった。違う!坊主でなくて、坊主頭のことだよ!
坊主になるかよ、植木等じゃあるまいし。
スイスイスーダラダッダ、ってか?
中学時代の進歩、その1。
パンツがブリーフになったこと。まだ珍しかったんよ。女のパンツみたいなのを男が穿くっちゅうのは。
中学時代の進歩、その2。
ズボンの前がチャックになったこと。それまでズボンの前はみんなリーバイス501みたいにボタン止めだったの。
これにより、間に合わずに思わず漏らしてしまう男子生徒が激減したらしい。(校内アンケートによる)
中学時代の悪夢。
のりたま弁当を毎日母親に作ってもらっていたの。

弁当箱にご飯を敷き海苔をのせる。またご飯を敷き海苔とその上に平らな卵焼きをのせる・・というやつ。

これを食べ続けたあげく、身体にジンマシンが発生。最初首のあたりにできたのが。ゆっくりと場所を移動し、全身くまなく通過して、行くところがなくなって、ついに尻の穴から体の中に入り腸炎を起こしてしまった。あげく、病院で浣腸されるはめになったの。ベッドに横向きに寝かされ、美人の看護婦さんに・・。多感な思春期を迎えた裕三少年には、たまらない屈辱であったのさ。
中学時代の楽しみ。
アメリカのヒットチャートのラジオ番組を聞くのが楽しみだったなあ。長谷川君と情報交換したりして。

ランブリング・ローズ、プレスリーのリターン・トゥ・センダー愛さずにはいられないスピーディー・ゴンザレステルスター・・ああ、懐かしい!
SF小説に目覚めたのもこの頃。半村良、星新一、 小松左京、ハリー・ハリスンとか。

高校時代の思ひ出①
家が牛乳屋だったりして、石川君は18歳になったとたんに免許を取ったのさ。
家の手伝いで軽トラックも運転していたけれど、親父さんのトヨペットコロナに乗って、よく友達を乗せてくれたものさ。
アメリカで、ワーゲン・ビートルに学生たちが何人乗れる(詰め込める)かなんて遊びがあって・・石川君のコロナに何人詰め込めるか、やってみたものさ。
誰かのケツが目の前にあって、そいつが屁こきやがったりしてね。・・
市役所の前に置いてあったスバル360を4人がかりで反対向きに置き換えたりもしたもんさ。

高校時代の思ひ出②
ホヤホヤの、田舎の、アイビー少年は、買ったばかりのVANのブレザーにレジメンタルストライプのネクタイを締めて、旧松菱百貨店の2階に出来たト〇コ風〇に乗り込んだのである。
*因みにこのブレザーは、乏しい小遣いを貯めたお金を握りしめて、近畿日本鉄道に乗ってはるばると名古屋へ行き、オリエンタル中村for the young and the young-at-heartな、ヤングメンズコーナーで買い求めたものである。
真面目にスチームバスに入ったあと、ヘソまでの厚手のパンツを3枚重ねばきしたお姉さんに、「おスペやる~?」なんて訳の分からないこと言われて、とってもめくるめかない一夜を過ごしたのであった。

以上、生い立ちを赤裸々に綴ってみました。

たぶん To Be Continue



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