僕の美しい人だから

名画座・平成

名画座・平成、今日の映画は1990年の「僕の美しい人だから」です。

舞台は80年代のアメリカ、セントルイス。アルマーニのスーツなど、肩パッド入りの逆三角形シルエットが幅をきかし、日本車が席捲し始めた時代です。
まるでモデルルームのような高級マンションに住むエリートの広告マン、27歳のマックス。金髪の上品な美青年で、いわゆるヤッピーです。
ちょっとゴミ屋敷な家に住む、ハンバーガーショップのウエイトレス、43歳のノーラ。とても「上品」とは言い難い人柄。
この二人の、ひとから見たらあり得ないような、不思議な恋と愛の物語です。
原題がノーラが勤めるハンバーガーショップの店名「White Palace」。
これとは似ても似つかない日本題が「僕の美しい人だから」。
ひとはそう言わないけれど、僕にとってはただ一人の美しい人だから・・といったところでしょうか。
監督が「男が女を愛する時」などのルイス・マンドーキ。
愛や恋愛の姿をリアルに、きめ細やかに描きます。

たまたま出会った場末のバーでノーラから言い寄られたマックス。最初は迷惑がっていたものの、(美しく、似合いの)妻を亡くしたマックスと、息子を亡くした独り身のノーラには相通じるものが芽生え・・
なぜかノーラの家に泊まることになったマックス。寝込みをノーラに襲われ犯されます。でもこれがなかなか良くて・・から始まって・・

マックスはノーラに惹かれながらも、彼女をヤッピー仲間に紹介することに恥ずかしさを覚えます。
ノーラはもちろんこんな夢のような恋愛は嬉しいけれど、コンプレックスを刺激されるし、どうせ捨てられるという思いにさいなまれます。
マックスからの最初のプレゼントが「掃除機」。
マックスが清潔好きの自分に近づかせようとする企みだと、ノーラは反発します。
「私は今までもこうやってきたし、これからもそうするわ。キッチンを見て」・・そして見違えるような美しいキッチンに、ディナーの用意が・・

アニマとアニムスという考え方があります。
本来人間は両性具有の完全な存在で
生まれて来るときにその片割れの男として、女として生まれる。
だから・・
男は残してきた女性性を、女は残してきた男性性を求める。
自分と似たものではなく、むしろ反対のものを・・
自分が例えば身長が高ければ低い異性を、
自分が繊細な草食系であれば気の強い肉食系の異性を
・・というように。・・心の底で。
この、男にとって欠けているものを満たしてくれる女性性がアニマ。
女にとって欠けているものを満たしてくれる男性性がアニムス。
アニマと、アニムスと、身も心も一体となってはじめて満たされる、
・・というわけです。

マックスは
上流階級のリッチなインテリ男、繊細な草食系、若くて美形。
ノーラは
労働者階級のプアな無教養女、気の強い肉食系、中年で美形とは言えない。・・
ひとから見て
「似合いのカップル」「似合いの夫婦」などと言いますが・・
このお話は、歳の差カップルのお話というよりも・・
マックスにとってのアニマとの出会いの物語と言えます。
世間体とか表層的なレベルを超えて、魂のレベル、ソウルメイトの物語と言えるでしょう。
ノーラが43歳でも、セレブの成功者であれば別の話になったでしょうから。

映画のラスト・・
セントルイスでの職も生活も捨てて、以前にやっていた教師の仕事を探
がしながら、ノーラの近くの貧しいアパートを借りたマックス。
ノーラが働き始めた満席に近いレストランで・・
「僕の生活に合わないのは君じゃない 僕自身が合わないんだ」
「かわいい若い子なんていらない もう決めた子がいるから・・欲しいのは君だけだ!」
「妻のことは愛していたが、君のことはどうしようもなく欲しいんだ」
・・・
ノーラを強引にテーブルに押し倒してキスするマックス。
周りの客の祝福を受けて・・

イヤア、映画ってほんとーにいいもんですね。
それでは皆様、またお会いしましょう。

余談ですが
マックス役のジェームズ・スペイダーは連続ドラマ「ブラックリスト」で人気になっています。まるで別人ですね。
歳月はこうも人を変えるものかと感慨にふけってしまいます。


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