フィッシャー・キング

名画座・平成

名画座・平成、今日の映画はテリー・ギリアム監督の「フィッシャー・キング」、1991年の作品です。
テリー・ギリアム監督と言えば85年の「未来世紀ブラジル」が有名ですね。
ブラウン管とタイプライターを組み合わせたコンピューター(?)やエアシューターを使った紙の氾濫する情報処理と言ったレトロフューチャーな未来世界、日本の鎧兜の巨大な武者が現れる悪夢の視覚イメージ化、・・など、情報統制がなされた全体主義的ディストピアを描いたジョージ・オーウェルの小説「1984年」をモチーフに、ギリアムならではの特異な造形感覚で描いた傑作でした。

さて「フィッシャー・キング」、都会(ニューヨーク)の、大人のファンタジーです。
人気ラジオDJのジャック(ジェフ・ブリッジス)。
彼の不用意な発言の為、レストランでショットガンの乱射事件が起きてしまいます。
このためDJをやめた彼は3年後には落ちぶれて、レンタルビデオ屋を営むアン(マーセデス・ルール)のヒモ同然の生活。
フラフラと出かけたみすぼらしい姿のジャックは浮浪者狩りの2人組に襲われます。そこに救いの騎士のごとく登場したのがホームレスのパリー(ロビン・ウィリアムズ)、でもどうも言うことが変です。
大富豪の邸宅に「フィッシャー・キング(漁夫王)」に出て来る「聖杯」がある。パリーとジャックは、これを取りに行く使命を神から与えられた、と言うのです。
このホームレスのパリー、実は元大学教授。例のレストランでの乱射事件で、若く美しい妻が目の前で顔面をふっ飛ばされ、精神に破綻をきたしたのでした。
その体験がフラッシュバックして「赤い騎士」として現れ、パリーを苦しめます。
パリーのPTSD(心的外傷後ストレス障害)の心象風景ですね、ギリアム監督ならではの造形です。
またひとは、圧倒的な恐怖・悲劇にあうと「子ども返り」を起こすものなんですね。
夜のセントラルパーク、芝生の上で全裸になり「息子よ ブラブラ揺れよ」なんてやるパリー。イヤア、ロビン・ウィリアムズさん、役者もなかなか大変ですよね。

パリーの少年のような恋の相手はリディア(アマンダ・プラマー)。
ひとにぶつからないでは歩けない、棚に並んだものは崩さずには取れない、好物のギョーザを落とさないでは食べられない、ダメっ娘のリディアを、「可愛い!」と遠くから眺めるだけのパリー。
そして圧巻なのが、グランドセントラル駅での大舞踏会シーン。ラッシュアワーの通勤客たちがいつの間にか二人の周りで踊り始め、またいつのまにか通勤客に戻ります。パリーの少年のような恋の心象風景を、ギリアム監督は素晴らしい造形で描きます。
パリーのことを知ったジャックは贖罪の意味も込めて、アンと共に一肌脱いでパリーとリディアの恋を取り持ちます。

・・と、こんなお話が独特のユーモアを交えファンタジックに語られます。

ギリアム監督はこの映画製作前後のインタビューに応えて、「私は特異な造形作家、というようなことを言われるが、私自身はストーリーテラーのつもりだ」と言っています。
この「フィッシャー・キング」を観るとそれがよく分かります。

ただ、ラストの摩天楼に灯がともり花火が上がるシーン。ギリアム監督にしてはちょっとベタなのではないかなあ、とも思いますが・・

イヤア、映画ってほんとーにいいもんですね。
それでは皆様、またお会いしましょう。


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